清水俊ニのプレイバックと小鷹信光のコンチネンタル・オプ

今日は2025年5月22日(木曜)。

個人の翻訳事務所ヒノトリホンヤクの本店がある東京都日野市の天気は、曇りから晴れ。蒸し暑いです。いま28℃ですが、火曜日から暑い日々が始まっています。

ところで、衣替えの準備をしていたら古いミステリの文庫本が何冊か部屋の隅から出てきました。出てきましたというか私が偶発的に発掘したのですが。

いずれも20年以上前に入手した本です。買った頃は会社員で、翻訳業界のひとに自分がなるとは思ってもみませんでした。 人生は先が読めません。 設計できるようなものだと思ってはいけないですよ。

 


まずは、清水俊二訳の「プレイバック」(レイモンド・チャンドラー著)

原著は1958年発行

ハヤカワミステリ文庫 HM7-3
1977年8月15日発行
1985年1月15日 17刷
 
私の自宅に眠っていた「プレイバック」のカバーはとっくに廃棄されていました。 が、こんな↓ 感じの外見だったと記憶しています。

清水俊二センセイと言えば、チャンドラーのフィリップ・マーロウものの翻訳で有名なひとですね。 「長いお別れ」では豪快に恣意的にトバして和訳していたようですが。 それから、あの字幕翻訳の女王ことなっち先生の師匠らしいです。

ふーん……。
昔はそういう、翻訳業界でも徒弟制度みたいなのが健在だったんですね。

ハヤカワミステリ文庫の「プレイバック」の奥付によると清水俊二センセイは明治39年生、昭和4年東京大学経済学部卒、映画評論家とアメリカ文学者。 昔の翻訳家センセイというのは、生年、最終学歴、大学卒業の年まで個人情報を元気に暴露していたわけです。 いろいろと、検閲とかあった頃の名残なのかもしれませんが、ご苦労さまなことです。

現代では、芥川賞・直木賞の候補でも顔出しNGなくらいです。 言ってはナンですが、昭和というのは息苦しい時代でした。

この書籍の奥付けというものがそもそも大岡忠相(越前守)が義務付けたもののようなので、仕方ないです。 息苦しいのも当然。
文庫版の訳者あとがきによると、「プレイバック」の文庫じゃない初版は昭和34年10月発行だそうです。 (おそらくハヤカワのポケミス)

いちいちイライラしますが、昭和34年は1959年です。 今2025年ですから、66年前です。

ええっ?! 清水俊二センセイと早川書房、1958年発表のチャンドラーの最後の長編小説を、1959年10月には翻訳して出版しちゃったの?
さすがです。 さすが清水俊二センセイと早川書房。しごとが速い。
昔の翻訳業の大先輩たちは、すごいですね。
(本気で書いています。からかってません)
翻訳業者として、このハヤカワミステリ文庫版「プレイバック」(清水俊二訳)を読んで感じたことは以下の通りです。
 
 
(1)
「コーヒー茶碗」と「コーヒーカップ」が共存している。(訳語のゆれ)

現代では、誰もコーヒー茶碗などと言わないですね。
 
(2)
「ベッド」と「寝台」が共存している。(訳語のゆれ)

現代では、誰も寝台などと言わないですね。
鉄道の「寝台列車」については特別。 まだ現役で運行している寝台特急があるそうですが、来月(2025年6月)に引退らしいですよ。
 
 
(3)
自動車の「うしろの物を入れるところ」

うしろの物を入れるところをあけて、タイヤを替えるときに使うジャッキを取り出した。それから、前と同じように気をくばりながらーーいや、さらに慎重に気をくばりながら、私の部屋へ戻った。
p. 208
 
原文では、

I unlocked the trunk and got out a tire iron. I went back to my room as carefully as before–even more carefully.

先月に清水俊二訳を読んだ時、「うしろの物を入れるところ」におやっと思いました。ずいぶんと説明的で言葉が多いですね。
上記のように、原文(1958年発行)では、単にthe trunkでした。

それから、「タイヤを替えるときに使うジャッキ」が出てきます。
マーロウはこの後、部屋で待ち構えていた敵(拳銃持っています)をこのジャッキで手頸をなぐりつけることで倒してしまうのですが……

これも「なんか変だな」と思っていました。(お忘れですか? 個人の翻訳事務所ヒノトリホンヤクの代表–私のことですけど–は、自動車メーカーに30年勤務したものですよ)

確かに何も武器がないよりはジャッキでもあった方が心強いのですが、持ちにくいです。ジャッキはそもそも人間が手に持って使うことを想定して設計されていません。

最初は、こんな「ジャッキ」を使ったのかと思っていました。

 

 

無理がありますよ。


実際には、マーロウはtire ironを振り回して敵の手頸を強打して、生き残りました。
これがtire ironです。

 

これです。 これなら手持ちの武器として使いやすい。
タイヤ交換用の鋳物のスプーンというかクロウバーを使ったのです。 ジャッキじゃありません。
クロウバーというと、いわゆる「バールのようなもの」のことです。
 
 
(4)
モーコ人種
 
顔を見るとモーコ人種のようでもあり、
p. 153
 
原文では
 
There was something Mongolian about his face

現代では、「モンゴル系」程度の和訳が無難でしょう。
人種関係の表現は、気を使った方が良い。

蒙古斑という言葉も生きているくらいで(英語ではMongolian spotとかいうみたいです)仕方ないのですが、「モーコ」はないでしょう。
昔のことなので許されたのでしょうが。
これは案外、モンゴルという言葉に当時は制限がかかっていたのかもしれません。
 

(5)
ブラジャーは「ブラジャー」でした。
 
「乳当て」とかじゃなくてよかったです。
これについては、うちのWebサイトの「昭和の翻訳家は引っ越ししなかったのか?」なるブログエントリーを参照願います。
 
 
(6)
ハンケチ
p. 100

「ハンケチ」は古い。 とはいえ、アパレル系とか服飾系はそれこそ流行あっての商売なのでしかたないです。
 

(7)
旅行小切手

「旅行小切手」はしかたないか。
わかんないですけど、これは「トラベラーズチェック」じたいがオワコンで死語です。 翻訳家は悪くない。 時の流れが速すぎる。
 

 
 
 
さて、ここからコンチネンタル・オプのターンです。
 
やはり自宅を片付けていたら、小鷹信光訳の「コンチネンタル・オプ」もの(ダシール・ハメットですよ)の文庫本(1990年代の発行)が出てきました。
 
「コンチネンタル・オプの事件簿」
ハヤカワミステリ文庫 HM143-5

著者:ダシール・ハメット
訳:小鷹信光

1994年5月31日 発行

訳者あとがきの日付は1994年4月12日

 

 


さすがにこれは旧い!という訳語はほとんどないようです。(1990年代といったら昭和も終わってますからね。そりゃそうでしょう。)

翻訳業で生活している者としては、こうなると「訳者あとがき」と「訳者略歴」が気になります。 この文庫本を買った当時は、自分がこういう職業につくとは考えもしなかったです。

訳者あとがきでは、「ハメットと乱歩の生誕100年だ」ということが書かれています。そういえば、この短編集の中の「放火罪および…」(面白い短編小説です)は、今から100年前に発表された小説です。今というのは、2025年のことです。
すごい。
訳者あとがきでは、鋭いことが指摘されています。

江戸川乱歩はハメットなどのハードボイルドミステリがほとんど好みでなかったようだとのこと。小鷹信光氏は、「生誕から100年経った乱歩とハメット、これからも読みつがれて作品が未来でも生きているのはどちらだろうか」という意味のことを書いています。 
この同時代性を超越した作家という概念は、非常に重要で非情なものです。時の流れは残酷です。
江戸川乱歩もハメットも、2025年になっても読まれていると思います。
小鷹信光が過去に直接会ったとき、江戸川乱歩は早稲田大学ミステリクラブの名誉顧問として若手の中では大藪春彦を別格として激賞していたそうです。 ハメットには興味がなかったのに、江戸川乱歩もすごいですね。やはり個人的に会って会話しているというのは影響力が違うのでしょう。
ですが、悪いけど2025年現在、大藪春彦を読む人はかなり少ないでしょう。 申し訳ないが、同時代性を超越できる恵まれた作家というのはひとつまみのさらにひとつまみの上澄み、神に愛された者だけです。 「次作があるかもしれない」というのは、とても大きなファクターなのでしょう。

たしか、村上春樹の小説で「まだ生きている作家の作品になんてたいした価値はない」という趣旨のセリフがあったように思います。
あまり詳しい実例は列挙できませんが……。
実は、生きている間に評価された(ポピュラーになった。売れた。生活が成り立った)というだけでもその作家は偉大なのですが。 この世は無常ですね。

おっと、昔のアメリカの探偵小説(ミステリ)の翻訳について書いているつもりだったのに、いつの間にか作家の創作物と時間の話になってしまいました。

それは、話題が無常になるに決まってますよ。


2025年6月17日 追記。

上の段落で

さすがにこれは旧い!という訳語はほとんどないようです。(1990年代といったら昭和も終わってますからね。そりゃそうでしょう。)

と書きましたが、やはりふたつくらいありました。

その1:
卓子(たくし)

まあテーブルのことです。 卓子なんて、卓袱じゃあるまいし…。
同じ意味の「卓」なのでしょうが。 調べると、医療や看護や介護関係では「器械卓子」などは設備・道具の名称として現役のようです。
モノタロウ参照。

「電卓」とか「円卓会議」なんていう言葉も現役なので、死語呼ばわりしてはいけないのかもしれません。でも、いきなり「卓子」(たくし)と言われても、わかんないですよ。
テーブルでいいじゃないですか。

 

その2:
胴巻き(どうまき)

これは………古い。
ハメットが書いた原文にたどり着けなかったのですが、おそらく money beltでしょう。
コンチネンタル・オプがブラックジャックで殴り倒したならず者、彼の胴巻きから札束が出てきたのですが……。 どうにも古いですね。
これがmoney beltです。 ↓
https://www.nationalgeographic.com/lifestyle/article/best-money-belt-for-travel