昭和の翻訳家は引っ越ししなかったのか?
今日は2021年9月7日です。
個人の翻訳事務所ヒノトリホンヤクの代表(私のことです)は旧い創元推理文庫のレイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」双葉十三郎訳を持っています。 1983年の41版ですが、結構旧いですね。 翻訳文が。
創元推理文庫版の初版は1959年だそうです。
私が持っている創元推理文庫版は、こんなカバーです。 微妙にハンフリー・ボガートとローレン・バコールになっちゃってます。 (1946年の「三つ数えろ」です) (https://m.imdb.com/title/tt0038355/fullcredits/cast)
今から見ると「これ大丈夫なの?」というレベルです。
1983年版創元推理文庫の「大いなる眠り」表紙です。 渋くていい表紙だと思いますよ。大好きです。
ビジュアルはともかく、テキストに取り掛かりましょう。 まず、びっくりするのが「グレープフルーツ」に訳注が入っていることです。
「あれ、何に見えます? グレープフルーツ(北米南部産ザボンの類)とお思いですの?」
「ああ、あんなものにはてんで興味がない。 けちな版画の複製だろう。」
p. 31
グレープフルーツに訳注。 北米南部産の果物、ザボンの類。
今となってはザボンの方がわかんないですよ。(ザボンを作っている高知県の農家の方々、ごめんなさい。ザボンをディスるつもりはまったくありません。 でも私はグレープフルーツは見たことあるけど、ザボンの実物を見たことがないんです。)
ちなみに私の母は後期高齢者ですが、グレープフルーツのことを「グレープ」と言います。 ブドウのことはもちろんブドウと言います。
まあ、果物とか農産物の名前もひどい世界ですけどね。 キウイフルーツとか。 最近はあれを単に「キウイ」と呼ぶ習慣は廃れたのでしょうか。
エシャレットとか。エシャロットと違うんですよね。 エシャレットはラッキョウの若いやつだっていうじゃないですか。 嫌いじゃないですけど、昔はやりたい放題なんでもありだったんですね。
ここで、1946年の映画「三つ数えろ」(The Big Sleep)から、該当する「グレープフルーツ」の場面。
んんーーーー。 ボゥギー、かっこいいですね。 顔でかくて背がそんなに高くないけど、かっこいいと言ったらかっこいいんだから、いいじゃないですか。(笑)
余談ですが、この1946年の映画「三つ数えろ」は2021年現在すでにパブリック・ドメインになっているそうですから、DVDからスクリーンショットを撮ってブログに掲載してもいいのです。 たぶん。 翻訳書の創元推理文庫版「大いなる眠り」の方はちょっとパブリック・ドメインかどうかわからないので、引用のお作法を守ることにしましょう。
それで、この1946年の映画「三つ数えろ」のボゥギーとローレン・バコールですけど…。
うわぁーーーーー。 これは、ローレン・バコールのお召し物のデザインまでが。 (笑)
やりますなぁ、東京創元社の編集者。 このカバーで何百部か売れたでしょ。
私はいいんですよ。 このブログのエントリーを書いている今は2021年で、映画はパブリック・ドメインらしいですから。
激安DVDまで出ているんだから、間違いないでしょう。
次は、ウイスキーの二合びん。
私はからだをもんでトレンチ・コートを着ると、一番近いドラッグ・ストアへ突進しウイスキーの二合びんを買い、車へ帰って、あたたかくいい気持ちになるまで飲んだ。
p. 39
「ウイスキーの一合びん」とか「ウイスキーの二合びん」というのも、すごいですね。 私はアルコールを飲まないので余計にわからないです。
元の単位系はクォートだったのかパイントだったのか、酒を飲む人の作業にお任せします。 商売だったら当然必死で調べますけど。
だいたい、
四分の一マイルもあるじゅうたんの向うに、ヘンリー八世がその上で死んだみたいな天蓋つきの巨大なベッドがあった。
p. 250
とあるのですが、「四分の一マイル」が通用するのにウイスキーのびんの容量が「二合」ってのは不自然ですよね。 今となっては。
小さなアイリッシュ・ツウィードの外套を胸でかき合わせた。
p. 203
という一節もあるのですが、アイリッシュ・ツウィードがカタカナでOKなら、ウイスキーのびんの容量を一升五合とかの世界に合わせる必要はないでしょう。 酒飲みの世界はよくわからない。 昔のことはよくわからないです。
2021年9月9日 追記。
原文は以下でした。https://ae-lib.org.ua/texts-c/chandler__the_big_sleep__en.htm
I struggled into a trench coat and made a dash for the nearest drugstore and bought myself a pint of whiskey.
チャンドラーの「大いなる眠り」(The Big Sleep)の第六章から。
「ウイスキーの二合びん」の原文は “a pint of whiskey” でした。マーロウが買ったのは、 1パイントのウィスキーボトルだったのでしょう。
1パイント(米国液量パイント): 約473mL
2合: 約361mL
えええっ? けっこう違いますね? 110mLくらい差があるんですけど。
誤差と考えるにしても、問題ありと思います。 酒飲みの人たちだって、110mL少なかったら気分よくないでしょう?
双葉十三郎の翻訳は、私は大好きですが、こればっかりは真意を測りかねますな。 汗をかいて翻訳して、これだけ容量の差が出ています。
ここで追記終わりです。
「火熨斗台」というのも旧すぎてわからないです。
執事が、紅い小径を、火熨斗台みたいに背中をまっすぐにして、滑らかな軽い足どりでやって来た。
p. 21
火熨斗は今で言うアイロンですが、これはやっかいですね。 火熨斗台ですから。
まず、原語版に当たらないと。(今回は私はやりませんが)
火熨斗台をインターネットで調べたのですが、火熨斗は写真や絵でわかるんですよ。 でも火熨斗台になると…。
「火熨斗台みたいに背中をまっすぐにして」とは…。 うーん…。
やっぱり専門家がうーんうーんうなっていても恥ずかしいので、原典にあたって調べました。
「火熨斗台」は、原典では”ironing board”でした。
https://ae-lib.org.ua/texts-c/chandler__the_big_sleep__en.htm
The chauffeur over by the garage had gone away. The butler came along the red path with smooth light steps and his back as straight as an ironing board. I shrugged into my coat and watched him come.
チャンドラーの「大いなる眠り」(The Big Sleep)の第二章から。
やはりred pathってよくわからないですね。 紅い小径。
というわけで、火熨斗台は、元々はironing boardでした。
これが戦前の(おそらくアメリカ合衆国の)キッチンの写真で、作り付けの調度はシンク(右手)とテーブルの奥のironing boardだけだそうです。 確かにironing boardはまっすぐでないといけません。 シャツをピシッとアイロンがけするには。 ironing boardは水平にまっすぐですが、執事の背中は垂直方向にまっすぐだったんでしょうな。
https://i.postimg.cc/JnQLNbzx/A-pre-World-War-II-kitchenthe-only-built-in-elements-are-the-sink-and-pull-down-ironing.jpg
写真は権利関係がこわいので、直接リンクしません。 自力でクリック/タップしてください。
こちらが、キッチンに作り付けではない独立したironing boardの写真。 マツの木でできている、戦前か戦中のものだそうです。
https://i.postimg.cc/439497c2/a-wwii-or-earlier-pine-wood-ironing-board-16172-pic4-size1.jpg
写真は権利関係がこわいので、直接リンクしません。 自力でクリック/タップしてください。
輪をかけて衝撃的に時の流れを感じさせる一節は、これです。
「乳当てのスナップ」。
まっ裸の女の子に、パンティをはかせたり乳当てのスナップをとめてやったりしている私など、自分でも想像できなかったからだ。
p. 46
brassiereが「乳当て」です。すごいですねぇ。
私が生まれる前とかではありません。 1983年に、まだこういう文庫本が印刷されていたんですよ。
日本の出版業界というのも、かなり保守的です。
出版の世界はそれでいいと思います。 政治的な保守的じゃないですよ。(笑)
翻訳者の双葉十三郎が大学を卒業したのが1934年ですから(なぜそんなことをお前が知っているんだ、ですか? 後述します。 あきらめないで読んでください。(笑))、おそらく文庫版になる前に双葉十三郎が「大いなる眠り」を翻訳したのは戦後まもなくか1950年というところなのでしょうね。 文庫の初版が1959年です。
仰天するくらいに時代の変化を感じさせるのは、巻末の奥付(これもすごい伝統)にある訳者の紹介です。
生年月日は全部公開して印刷してるし。
1934年東京大学の経済学部卒とか…。 個人情報全力全開ですね。(笑)
それから、住所全部書いてあるんですけど。 番地まで。
もう、個人情報保護とかプライバシーとか何ですかそれって感じです。
昭和の翻訳家は引っ越ししなかったのでしょうか?
確かに、私も2017年に開業した時は在宅翻訳者(翻訳家ではないです。今現在(2021年の9月です)は、プロのトランスレーターの大半は自分を「翻訳者」と言っています。 なんででしょうね。)だったので、名刺には東京都日野市までしか書かなかったです。 新型コロナウイルスが旧世界を破壊する前ですが、ピンポーンって来られても困るので。
中小企業診断士の先生にも、Google My Businessに登録したりWordPressでWebサイトを作る時もちゃんと住所をフルに書かないと誰にも信用されないと忠告されました。
昭和にはGoogle My BusinessもWordPressなWebページも無かったので、社会的責任感と信用を示すには、奥付に生年と出身大学・学部と住所(番地まで)出版するしかなかったのでしょうか。
当時は印刷・出版には誤植はつきものだった(今もですよ)ので、翻訳者…じゃないや翻訳家の住所の番地間違えたらどういうことになったのでしょうか。
それから、昭和の翻訳家は引っ越ししなかったのでしょうか。
たぶん、理由があって住所、番地まで印刷していたんですよね。 印税の関係でしょうか。 いいなぁ、印税。 夢の不労所得。
ああ…。 どうも元はかの名奉行、大岡越前守忠相あたりからのようですね。 「出版した者の実名と住所を奥付に書くべし、一同、立ちませええい!」的な。(笑)
何も翻訳者の住所と生年月日まで書かなくてもいいような気がしますが。 昔はそれだけお上が怖かったんでしょう。
それはそれとして、現在、日本ではレイモンド・チャンドラーの翻訳と言ったら清水俊二ですよね。
でも、私は双葉十三郎の翻訳も好きです。 理由はここには書けませんけど、たぶん双葉十三郎の翻訳の方が好きです。
清水俊二が、妙にあの字幕翻訳の女王陛下、なっちを擁護していたからでしょう。 なっちが弟子だったということですし。あっ、書いちゃった。(笑)
清水俊二、「長いお別れ」の翻訳も、恣意的にトバしていたそうですし。
清水俊二ではないですが、翻訳を引き受けておいて10年も完成させなかった翻訳の大家の先生もいらっしゃったそうです。おおらかな時代だったのでしょう。 印税相当の権利収入がなかなか入ってこないので原作者もいい迷惑ですよ。
翻訳者は自分でどこを翻訳しないでトバすか決めちゃうし、文庫本のカバーは微妙にハンフリー・ボガートとローレン・バコールになってるし(何も書いてないから、他人の空似で無許可でしょう)。
なんともイヤハヤ、おおらかな時代だったのですね。